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<スピンオフ> 第3章 九条琢磨 8

last update Last Updated: 2025-08-20 19:53:10

 月曜9時――

いつものように出社してきた琢磨はあることに気が付いた。水色の上下のユニフォームに同色のキャップを被った人々が大勢清掃用具を持って歩き回っていたのである。

(何だ? いつもの管理会社の清掃員たちとは違うな? 何かあったのだろうか?)

訝しみながら琢磨は廊下を歩き、社長室の扉を開けて中へと入った。

この部屋は琢磨専用の社長室である。以前までは二階堂と同じオフィスルームで仕事をしていたが、事あるごとに二階堂が自分の仕事を振ってきたり、仕事中にも関わらず自分の家族の自慢話をするなど、私語が絶えなかった。

そこで二階堂に半ば泣きつくような形で自分専用のオフィスを用意して貰ったのだが、それでも1日の内半分は二階堂と同室で仕事をしている。

琢磨が与えてもらった地上15階にあるオフィスルームは南側は全面ガラス張りで、眺めの良い景色が眼前に広がっている。日当たりが良いので窓際の隅に置かれた観葉植物は大きく育っている。

琢磨は窓際に寄せたデスクに向かうと引き出しを開けて自分のカバンをしまい、コーヒーメーカーが置かれているカウンターへ向かった。

「今朝はこれにするかな……」

カフェモカのカプセルをコーヒーメーカーにセットし、出来上がったコーヒーを手に取った。

途端に室内にコーヒーの良い香りが漂ってくる。

「朝はこの時間が一番好きだな……」

琢磨は呟くと、湯気の立つカップを持ってデスクへ移動した。窓際に立ち、ここから見える高層ビル群を眺めながらコーヒーを飲んでいると、突然ノックの音が聞えて来た。

――コンコン

「ん? 誰だ?」

琢磨のオフィスを訪ねてくる者は二階堂以外滅多にいない。そしてその二階堂は重役出勤の為にまだ出社してくることは無い。

「どうぞ」

「失礼いたします」

ドアが開かれ、大きなカートを押したユニフォーム姿の女性が入室してきた。

(あのユニフォームは……)

それは先ほどこの部屋まで来る途中にすれ違ったユニフォームと同じデザインだったのだ。入室してきた人物はキャップを目深に被っている為に顔が良く見えないが、まだ若そうに見えた。

「あの、本日は定期的なビル清掃の日なので掃除に来たのですが大丈夫でしょうか?」

女性はキャップを外し、琢磨を見た。その顔には見覚えがあった。

「あ……君は……!」

「え?」

女性は不思議そうに首を傾げた。

「あの……もしかして私のことを
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    「どうでしたか? あの後は何事もありませんでしたか?」琢磨の質問に舞は少し困った表情を浮かべる。「え? ええ。大丈夫でした。それで、これからこのお部屋の窓ふきをさせていただいてもよろしいでしょうか?」「あ、そうでしたか。清掃会社のスタッフだったんですね? ええ、大丈夫です。お願いします」琢磨が頭を下げると、舞はほっとした顔を見せた。「では、早速お掃除に入らせていただきますね」舞は頭を下げると、早速清掃用具の乗ったカートを押して琢磨の背後にある全面ガラス張りの窓へと向かい、持っていた清掃用具を次々と取り出した。(よし、俺も仕事にとりかかるか……)琢磨はデスクの上に乗っていたノートパソコンの蓋を開け、今抱えている案件の資料を取り出し、デスクの上に広げ……チラリと舞の様子をうかがった。(あんな小柄な身体でどうやってあの高い窓を掃除するつもりなんだろう……? 軽く見積っても3m近くはあるのに)作業している舞の姿を見ていると、彼女は窓拭き用のワイパーをクルクルと回し始めた。するとワイパーの棒の長さがどんどん長く伸びてゆく。(ああ……なるほど。あのワイパーは伸縮自在だったのか。なら高い場所でも届くな)そこまで考えていた時。「あの~」突然舞が声をかけてきた。「え?」「あ、あの……私に何か御用でしょうか?」「え……? あっ!」琢磨はその時になって気が付いた。そっと見ているつもりが、いつの間にか琢磨はジロジロと舞を見ていたようだったのだ。「すみません。こんな高い窓どうやって掃除するのか気になってしまって、ついまじまじと見てしまいました。申し訳なかったです。気が散ってしまいましたね?」琢磨は慌てて謝罪した。つい、舞の事が気になって見つめていたとは口が裂けても言えない。「いえ、気が散ると言う事はないのですけど……何か私に用があるのかと思って」舞は居心地が悪そうに言う。「すみません。用は別にありません」(まずいな。このままじゃきっと彼女の気が散って掃除がしにくいかもしれない)そう思った琢磨は使用していたPCの電源を落とし蓋を閉じ、デスクの上に広げていた資料をバサバサとまとめ、茶封筒に入れ、さらに私物のカバンを引き出しから取ると椅子から立ち上った。「あ、あの……どちらかへ行かれるのですか?」舞が慌てたように尋ねる。「右隣の部屋で仕事を

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     21時―― 琢磨は都内のタワーマンションにある自室で1人、高層ビルから見える夜景を眺めながらワインを飲んでいた。そして今日の出来事を思い起こしていた。レンという子供を育てている女性……。「あの男の子は彼女の子供じゃないってことだなんろう……。そして彼女から子供を奪おうとしていたのは恐らく父親。だけどあの分だと彼女は子供を奪われる可能性の方が高いな……」そこまで考えて琢磨は我に返った。「俺は一体何を考えているんだ? どっちにしろ、もう会うことも無いだろうし何の関係も無いじゃないか」琢磨は煽るようにワインを飲むと、85インチのテレビのリモコンを付けた――**** ――翌日。琢磨は1日中タワーマンションから出ずにフィットネスジムで汗を流し、夜は久しぶりに最上階にあるバーラウンジへと足を運んだ。 高層ビル街の夜景が美しく見えるカウンター席で1人ウィスキーを飲んでいると、不意に背後から声をかけられた。「九条さんではありませんか?」振り向くと琢磨の隣の部屋に住む不動産会社の社長を務めている男性だった。年齢は42歳で独身。普段から時間さえあればジムで身体を鍛えている人物で、筋肉質で外見もとても若々しかった。30代でも通用する風貌をしている。「ああ、青柳さんでしたか、こんばんは」「隣、座ってもよろしいですか?」「ええ、どうぞ」「では、失礼します」青柳は琢磨の隣に座ると、すぐにウェイターがやって来た。「何に致しますか?」「そうだな……ギムレットを頼みます」「かしこまりました」「今夜は女性連れじゃないんですね?」琢磨はからかうように言った。「また九条さんはそのようなことを言って……。まるで私が毎回毎回女性を伴っているようじゃありませんか」青柳は照れたように笑う。「ですが、前回このバーでお会いした時も若い女性と一緒だったじゃないですか?」琢磨はウィスキーを飲んだ。「失礼いたします」そこへウェイターが現れ、青柳の前にギムレットを置いた。「ごゆっくりどうぞ」そして頭を下げると去って行く。青柳はギムレットに手を伸ばし、一口飲んだ。「色々なショットバーで飲んでいますが、やはりこの店が一番おいしく感じますよ。多分、ここで暮らしているので安心感があるのかもしれませんね」「ええ、そうですね。このマンションはレストランもあるし独り身の

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    (ん? あの親子は……?)水道場に向かう途中、琢磨は他の保護者たちとは少し離れた場所にレジャーシートを敷き、仲良くお弁当を食べている母子の姿を見つけた。そこに座っていたのは先ほど琢磨が朱莉だと勘違いした女性であった。彼女の傍らには体操着を着た男の子が座り、美味しそうにおにぎりを食べていた。2人はとても仲がよさそうで、大きな声で会話しながら食事を楽しんでいた。すると不意に2人の会話が琢磨の耳に飛び込んできた。「舞ちゃん。このおにぎり、すっごく美味しいね?」「そうでしょう~? レンちゃんの為にねぇ……大好きなタラコを入れたんだよ?」「うん! 僕タラコだ~いすき!」レンと呼ばれた少年はニコニコ笑っている。その会話を聞いて琢磨は首を傾げた。(妙だな……母親のことを名前で呼んでいるのか? それに父親もいないように見えるし)その時――女性は顔を上げ、琢磨と視線が合ってしまった。(うっ! ま、まずい……! あまりにもぶしつけにジロジロ見てしまったか!?)すると女性は軽く会釈をしたので、琢磨も慌てて会釈をし、足早にその場を立ち去った。(ふう~驚いた……まさか目が合ってしまうとは……でも……)琢磨は思った。綺麗な女性だった――と。**** お昼休みも終わり、プログラムも終盤に差し掛かろうとしていた。「琢磨、もうお前帰ってもいいぞ」突如競技を見物していた二階堂が琢磨に視線を向けることなく言った。「え……? ええ! い、いいんですか!?」思わず琢磨の声が喜びで声が弾む。「何だ? 随分嬉しそうじゃないか?」ぐるりと首を回して琢磨を見る二階堂。「い、いえ。気のせいですよ?」「ふ~ん……そうか?」しかし、琢磨には理由が分からなかった。まだ運動会のプログラム終了までは演目が残っているはずなのに、何故突然帰るように言い出したのか理由を尋ねたくなった。「あの、でも……何で帰るように言ってるんですか?」すると二階堂は溜息をつくと、琢磨に運動会プログラムを差し出してきた。「ほら。プログラムの最後の演目を見て見ろよ」「?」受け取った琢磨プログラムを眺め、尋ねた。「この一番最後の演目ですよね?」「ああ、そうだ。」「親子でペアダンス……ってなっていますけど? これがどうかしたんですか?」すると二階堂は急に不機嫌そうな顔つきになった。「どう

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     琢磨の目に映った女性は若かった。まだ20代半ばかと思われるその姿はとても美しかった。長い髪の毛を後ろで一つにまとめ、競技に参加する為だろう、紺色にピンクの縦のラインが入った上下のジャージを着ている。他の母親たちよりは地味な格好をしていたが、それでもひときわ輝いて見えた。弾けるような笑顔で子供の応援をしている姿は好感が持てた。(そうか、彼女がレンという子供の母親か……。一瞬でも朱莉さんの姿を想像してしまったが、まさかこれほど朱莉さんのことを引きずるとは自分でも思ってもいなかったな)琢磨は溜息をつきながら、荷物番の為に先ほどいたシート席へと向かった――**** その後も競技は進み、ついにお昼休みになった。「九条、午後もよろしく頼むな?」レジャーシートに座った琢磨に缶の飲み物を渡してきた。何気なく受け取った琢磨はラベルを見て驚いた。「え? こ、これってビールなんじゃないですか!?」「ちょ、ちょっと! あなた! 何してるの!? こんなところでビールなんて!」静香も驚いて夫をたしなめると二階堂は笑った。「何言ってるんだ2人とも。俺が幼稚園の運動会でビールなんか渡すはずないだろう? ノンアルコールのビールさ」「な、何だ……そうなのね……」静香は安堵の溜息をついた。「そういうことならこちらも遠慮なくいただきますよ」琢磨はプルタブに手を掛け、プシュッと蓋を開けると上を向いて喉をゴクゴクと鳴らしながらノンアルビールを飲み干し……何やら視線を感じて辺りを見た。(な、何だ?)すると静香と二階堂だけでなく、周囲に座っている他の保護者達も何故か琢磨を凝視している。(何だ? やっぱりこんなところではノンアルビールも飲んだらまずかったのか?)しかし、それにしては男性と女性では自分を見る目が違う。女性の方はうっとりした目つきで琢磨を見ているし、男性は何やら嫉妬や羨望が混ざったような目で琢磨を見ているのだ。すると二階堂がため息をついた。「はぁ~……九条。お前なあ……」「本当……少し自覚を持ったほうがいいわね……」静香も額を押さえてため息をつく。一方の栞はおにぎりを食べながらお茶を飲んでいた。「え? え? な、何なんですか? 2人とも。俺……何かしましたか?」二階堂と静香の顔を交互に見ながら琢磨は尋ねた。すると二階堂は言った。「お前……無駄に色気

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